どうすれば語彙が増えるか
よく聞かれるのが、「どうすれば語彙が増えるか」の問いです。答えは3つあります。
1.小説を多く読むこと
2.いいと思った文章を音読する
3.いいと思った文章を書き写す
まずひとつめ。読んでいるものとその人が書く文体は、読む分量が少なければとくに何も影響を及ぼしませんが、量があるとその人の読書傾向に文体が寄っていきます。
ふたつめ。文章を音読すると文体のリズムが耳から体に沁み込んで、自分が文章を書くときにもリズムに意識が湧くようになります。
みっつめ。気に入った文章を書き写していると、その作者の“口調”やリズムが自分の内側の新たな辞書として登録されていきます。回を重ね、繰り返すほどに内蔵辞書の語彙は豊かになり、自分の言葉として発せられるようになります。
ちなみに、文章が上手な方に同じ質問をすると、多読のほか、8割は日記を書いています(or 書いていた)。
どんな本を読むか
読む本はビジネス書でもいいのですが、言葉の広がりは身につきにくいので、語彙だけで考えるとちょっと遠回りになりがち。とはいえ、重い文学は読めるようになるまで多少の忍耐と時間が必要ですので、好きなジャンルの軽いものから段階的に入っていくのがおすすめです。
翻訳モノも◎。翻訳は時代の言葉と空気感が反映されますので、最新で刊行されている翻訳本は比較的軽めの日本語で訳されているものが多く、読みやすいです(※disっていません。個人的には20~30年ぐらい前の新潮文庫、岩波文庫あたりの翻訳が情緒深くてまどろっこしくて重ったるくて、大変好みです)。
ということで、語彙を増やすことを目的にした作品をピックアップしました。最近の作品はあまり読めていませんのでちょっと古い名作やベストセラー、かつ歴史モノに寄っていますが、読み継がれているものでもありますので、興味持てるものがありましたらお手に取っていただけたらと思います。
合わなければ、現代的作品のベストセラーをかたっぱしからぜひ。「いやいや、これってあなたが過去に気に入った本のリストでしょ」って言われたら、はい、そうです。参考になりましたら幸いです。
語彙視点でご紹介します。
アルジャーノンに花束を/ダニエル・キイス
言わずと知れた大ベストセラー。日本ではドラマ化もされました。主人公のチャーリィは知的障がいをもった人物ですが、あるきっかけで知能レベルが格段に上がっていきます。その様子は人物が使う言語によって克明に表されており、人が使う言葉から垣間見える知性を残酷なまでに描いています。本編終盤のやさしい日本語が怖くて悲しい。
あえて挙げたのは、こんな理由です。この本を読んだ当時、私は片田舎の高校生でしたが、使う言葉が人となりや知性を示す指標なのだと初めて明確に認識しました。これをきっかけに言葉や表現に興味を持ち、貪るように読書をするようになりました。後にも先にもここまで衝撃を受けた言葉の強さはありませんでした。徹夜して本を読む面白さを味わったのも、この本です(中間テストでボロ負けしたのはいい思い出)。
この作品が面白かったら、ぜひ『24人のビリー・ミリガン』シリーズへ進んでいただきたいです。24人を書き分けるダニエル・キイスの筆力に脱帽しますし、24人を描く表現の幅広さ、細やかさに触れていただきたいです(新版の訳がどうかはわかりませんが)。
蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)/浅田次郎
中国の物語を浅田次郎氏が書いています。この作品に限らず、浅田さんの文体は歴史ものになじんでいない方にも割と読みやすいので、語彙も広がりやすく、楽しめると思います。人間ドラマを描くにあたって心の機微と外因を自然と絡ませながら進んでいくので、自然と世界に入り込めます。この本を気に入った方には、『中原の虹』も強く薦めたいです。
壬生義士伝/浅田次郎
やはり浅田文学の傑作のひとつといえばこちらかと。映画化されましたが、小説はかなり骨太。ぜひ文字でご一読いただきたい作品。人の生きる切なさ悲しみを切々と描いた名作です。幕末の躍動感の中、しがない下級武士が生きるために起こしていく行動、しかし時代と行動の乖離によって生まれるものは、今の時代と通ずるものがある気がします。
主人公が方言を話すのですが、言葉のリズム感や音感がこんな形で心を動かすものなのかと感じる箇所が随所に。言葉の強さ、言葉に乗せられたリズム感を堪能することで、新たな表現の広がりを得られる稀有な物語とも言えます。
興奮/ディック・フランシス
こちらは海外ミステリーです。イギリスで騎手として活躍した選手が作家となり、競馬の物語を書いた傑作。翻訳がまたとてつもなくいいのです。主人公は粛々と物事を進めていく人物なのですが、その様子の端的さ、イギリス紳士の風格を表す日本語の美しさが行間に溢れています。
小説はシリーズ化されており、こちらは最初の1冊。競馬に興味が全くない私に「絶対読め」と先輩編集者から強い要望(命令?)で読まなくてはいけなくなり、渋々読み始めてドハマり。名作です。面白すぎて、全シリーズ読破しました(正直中だるみもある)。余談ですが、ディックが亡くなる前に病気で入院。その間も息子さんと共著の形で執筆を続けてきました。命尽きるまで作品に取り組み、絶筆となった作品は『矜持』。亡くなったときは泣きました。
模倣犯/宮部みゆき
大ベストセラーとなった超傑作ミステリー。映画化された折の主人公がSMAP中居くん。名演によりさらに人気を高めた物語です。殺人ものが苦手な方には難しいかもしれませんが、人間の心理描写に優れた名作。怖さが勝つか、表現の面白さが勝つか。言葉ってここまでうねるようにリズムをもって人を引き込むものなのかと感動したのを覚えています。
先輩に「読め」と渡されて期限を切られて読まなくてはならず、手に取る際のページの多さに眩暈を覚えましたが、一度世界に入り込んだら、あっという間です。
十二国記/小野 不由美
作品のメインタイトルは十二国記ではありませんが、総称してそう呼びます。第1巻のタイトルは『月の影 影の海 (上) 十二国記 1』。もともと講談社の少女向け小説(今はなき、「講談社X文庫ティーンズハート」)だったのが、人気が人気を呼び大人向けの小説となりました。
本作では主人公・陽子が現代世界と異次元世界を行き来することになるのですが、どちらも世界観が細やかに描き込まれていて見事。彼女が感じる戸惑い、生き方への迷い、決断を迫られる怖さ、その揺れる心境下で発する彼女の言葉。成長とともに彼女の言葉遣いも変化していきます。人は使う言葉でその人が存在する世界を表すと言いますが、まさにそれです。アニメ化もされていますが、表現の緻密さは小説のほうが群を抜いています。
グイン・サーガ/栗本 薫
こちらもファンタジー。作者の栗本さんは残念ながら鬼籍に入られましたが、お弟子さんの五代ゆうさんと宵野ゆめさんが遺志を継がれています。グイン・サーガは熱狂的ファンが多い作品で、正直最初は「?」の連続ですが、ハマるとどこまも噛みしめたくなる“するめ”のような物語。
この世に存在しないものが作中に多く登場するのですが、表現を理解するために頭を使います。結果的に「現代に存在するアレみたいなもの?」と脳内映像転換が繰り返されます。「ガティって、フォカッチャかナンのことかな?」とか。紡がれていく言葉を脳内の取り込み、存在しない世界を言葉だけを頼りに脳内に映像化していくことで、表現と言葉の力みたいなものを強く実感できると思います。ファンタジーの真骨頂ってやつですね。
個人的クライマックスは87巻ですが、そこに行き着くまでも、行った後もとにかく濃い。個性的で突き抜けた登場人物が数えきれないほどいますので、愛読者同士で会話をするとキャラクター人気総選挙的話題になりがち。ハマれば楽しい長編ファンタジーです。最新刊は147巻、現在も刊行中です。私が生きている間に完結してほしいです。
重厚な日本語がどっしり、山崎豊子の作品
個人的には彼女の作品が大好きなのですべておすすめしたいですが、日本語も内容も重量感たっぷりなので読み慣れないと苦しいかもしれません。すべて事実に基づいた取材によって書かれた物語です。
「生きるとはなんぞや」「人生のなんたるか」のような重いテーマを言葉で表したいとき、こんなふうに描くと心理的にも風景的にも立体的に描けると理解できる、見本のような作品です。人間の生々しい手触りを感じたいすべての方に(どんな人だ)。
大地の子
沈まぬ太陽
不毛地帯
世界の名作文学
世界の名作文学って名作すぎて読みにくいですが、この辺なら読める気がします。最新版の翻訳より、ちょっと古い10年以上前の翻訳で読むのをおすすめしたいです。
変身/カフカ
赤と黒/スタンダール
上記をさくっと読めるようになった後のおすすめは、『ボヴァリー夫人』『レ・ミゼラブル』、ドストエフスキーの『罪と罰』。『罪と罰』の重くて苦しくてまだるっこしい日本語で、「読ませる気のない物語だな」と思いながら、何度も中断しつつ読みますが、あるときふっと重苦しい表現が空気として馴染むようになり、スムーズに(?)進むようになります。この作品の後なら、何でも読めます。
歴史ものなら、北方謙三の水滸伝シリーズや、司馬遼太郎、山田風太郎、山岡荘八あたりが肌に合えばどんどん読み進めると漢語の表現が身につきます。和ことばの美しさなら、佐藤春夫の随筆や詩集、堀辰雄の『風立ちぬ』がおすすめです。