悪貨は良貨を駆逐する。ログは悪貨を凌駕するかも?

「悪貨は良貨を駆逐する」
これは16世紀のイギリスの経済学者グレシャムが発見した法則で、簡単に言うと、「質の悪いものが質の良いものを追い出してしまう」ことを言います(※)。
この法則はあらゆる場面で見かける現象で、最近、これっぽい現象に遭遇しています。
※悪貨は良貨を駆逐する
昔のお金の話で説明すると、金の含有量が多い価値の高いコイン(良貨)と、金の含有量が少ない価値の低いコイン(悪貨)が同じ値段で流通していたとします。すると人々は価値の高い良貨は手元に残して、価値の低い悪貨だけを使うようになります。結果として、市場には悪貨ばかりが出回り、良貨は見かけなくなってしまう、という現象です。

モラハラという悪貨と遭遇
今、私はひとつのチームに属しています。Aさんという方がいて、Aさんの言動は完全にモラハラです。令和のこの時代に珍しく、細かな嫌がらせ、人格を否定するような発言、陰湿な態度。周囲の方々は困った顔をするものの、誰も声を上げません。Aさんの業務が属人的になっており、それを代替できる方がいないからです。
とはいえなんとかしたい私は、まず観察を始めました。あるときからAさんの言動を記録し、一覧表を作ることに。いつ、どこで、誰に対して、どんなことを言ったのか。目撃者はいたか。感情的な点は書かず、事実だけを淡々と記録。その後、現状分析と要望を交えて、報告書として正式文書の形式で提出しました。
ClaudeAIに報告書を書きたいと相談したら、いい感じにまとめてくれました。私の書いたログを読ませてAさんの言動の分析をしてもらい、事実だけを表組にまとめました。「感情的な表現があったら取り除いてください」という指示で公的文書として誰に見られても問題ないよう校正もしてもらって。Aさんの目に入ることを前提とした書類にしました。
もしかしたら悪貨が勝って、私が追い出されるかもしれませんが、それはそれでいいと思っています。自分が退く覚悟をしないと、こういう書面は出せませんしね。
あきらめることの危険性、向き合うことの意味
多くの方はこういったとき「自分は無力だ」と思ってあきらめてしまいます。あきらめるほうは状況を受け入れて、悪貨を飲み込みます。でも、私は飲み込む方法以外も考えたい。
あきらめることは、悪貨にとって最高の環境を提供することになるからです。誰も抵抗しない、誰も記録しない、誰も声を上げない。そうなれば、悪貨は堂々と良貨を駆逐していきます。
こういった状況に向き合うとき、無意識の恐れがつきまといます。「面倒な人だと思われるんじゃないか」「報復されるんじゃないか」「結局何も変わらないんじゃないか」とか。こうした不安は、何か行動を起こそうと思うとき、とくに感じるものです。
ですが、恐れから何もしないでいると、その恐れに絡めとられて身動きができなくなります。

記録という武器の力
悪貨がその世界を凌駕しているとき、私はいつも記録します。というか、メモが趣味なんですけど。会社員として仕事をしていたときも、同じことを何度かしています。
お金がかかることや公平性を崩すことに、組織はとても慎重です。私にとってPCのスペックはとても重要ですが、会社員時代は「全社統一のものを使う決まりだから」という理由で低スペックPCを使っていました。
当然メモリが足りなくてPCが動かず、業務が滞ります。そこで、作業工数の記録を取るついでに、PCがフリーズした時間も3か月間毎日記録しました。統計を出し、合計何時間損失し、その損失した時間に本来何ができたかを記し、報告書と要望書を書きました。ダメもとでPCのスペックを上げてもらえませんか、と。
結果、要望が通り、私のチームだけ高スペック(というか一般的なスペック)のPCが導入されることになりました。他の社員から「ずるい」という声が上がったので、都度経緯を説明し、「同じことすれば要望は通るよ」と話しましたが、誰もやりませんでした。
記録には力があります。記録によって事実がつまびらかになると、一貫した何かが見えてきます。曖昧だった出来事がはっきりすると、「そんなつもりじゃなかった」「勘違いだ」「大げさだ」といったことが言えなくなりますし、逆に納得する材料にもなり得ます。
ダメもとでやってみる勇気
もちろんうまくいかないこともあります。でも、ダメもとでやってみる。そうすることで、考え方や行動の枠が広がりますし、「どうすれば改善できるか」という改善思考も身につきます。だから最初からあきらめません。
他人からは「あいつは面倒なやつだ」と思われます。でも、こちらも面倒なことを心底面倒だと思いながらやっていますので、互角(???)です。

選択の時、しなやかに判断する
前述のAさんの報告書ですが、提出後に組織がどう反応するかで、その組織の本質が見えます。
改善に取り組む組織なら、私はそこでのお仕事を続けたいと思っています。問題を直視し、変化を起こそうとする場所でこそ、良い仕事ができると思うからです。ですが、組織が問題を見て見ぬふりをするなら、それはそれ。私は静かに去ることになります。
悪貨が良貨を駆逐する現象は、誰かが記録し、声を上げることでしか止められません。それに、独立してひとりで働ていると、いろんな目に遭います(笑)。自分で自分の身を守るためにも、こういう考えを持っていてもいいかなと思っています。仕事がなくなったら、また違う仕事をすればいいですしね。
小さな行動が、やがて大きな変化を生むものです。何のオチもないんですけど、そう思った朝でした。